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市報松江 2018年3月号

コラム 神国の首都 vol.100

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島根県松江市 クリエイティブ・コモンズ

世の中がおおらかだった昭和四、五十年代、抜いた抜かれたの記者クラブにもどこか鷹揚(おうよう)な空気が流れていました。暇を見つけては麻雀や花札に興じ、夜ともなれば社を問わず、先輩記者が後輩記者を行きつけの飲み屋に引っ張っていったものです。そんな先輩記者の一人に朝日新聞の犬飼兵衛さんがいました。花札がめっぽう強く、いつもカモにされていましたが、「悪いなあ。へへへ」と言いながら大きな体をゆすり、目を糸のように細める笑顔が憎めず、心根がまた優しい人でした。
犬飼さんが松江を去り、今度は若手記者の〝養成係〟を担う立場になったころ、朝日新聞松江支局(当時)に新人のO君が赴任して来ました。「取材に連れて行ってください」と行くところ付いて回り、夜も二人で何度飲んだくれたことか。また、ほぼ同じ時期に同社の大島次郎さん(元新聞労連委員長)とも知り合い、研修旅行を共にするなど親しくなりました。

■朝日新聞銃撃事件
1987(昭和62)年5月3日夜、朝日新聞阪神支局に侵入して来た目出し帽の男がいきなり散弾銃を発砲。小尻知博記者が殺害され、一緒にいた犬飼さんが散弾流200個以上を浴びて重傷を負うショッキングな事件が起きました。時の阪神支局長が大島さんで、びっくり仰天。そして、事件から12日後に西宮市民会館で営まれた小尻記者の社葬で、「久しぶりです」と声をかけてきたのが、何とあのO君。彼はのちに大阪本社社会部長になるのですが、まさか彼から取材を受けるとは…。偶然の重なり合いにあ然としたものです。
社葬の後、西宮市内の病院に入院、治療中の犬飼さんを見舞うと、「やあ、来てくれたのか」とあの懐かしい笑顔。しかし、事件のことに話が及ぶと「犯人の標的は俺らと違うで。恐らく〇〇や」と目を鋭くして語ったのです。その体には「多分死ぬまでのお付き合いや」と言う散弾流が残ったままでした。2本の指を失った右手の白い包帯が目に残ります。

■犬飼記者の死を悼む
1月20日付の新聞各紙は、犬飼さんの死を一斉に報じました。訃報記事を読むと、自ら地方勤務を願い出るほどの一線記者で、四国、近畿、北陸などで勤務、姫路支局長などを経て、諏訪支局で記者生活に終止符を打ちます。「人間ならば言葉で訴えなさい」との犬飼さんの声は犯人には届かず、事件は無念にも2002年5月に公訴時効が成立します。マスコミ各社に送られたであろう写真の中の犬飼さんは、どこか無表情に見えました。「下手に生き残ってしまった」「悔しさが頭を駆け巡る」と語る一方で、「生かされている」とも。さまざまな思いが交錯していたに違いない、これまで見たこともない表情でした。73歳。早すぎる死でした。

■目標は200回?
2009年12月から始めたコラムが今回、100回という節目を迎えました。「とにかく書き続けなさい」。題号の名付け親である高橋一清さん(市観光文化プロデューサー)の言葉を反すうしながらの8年半。年明けにいただいた「1、2回は休むと思ったが…」を誉め言葉と受け止め、もうしばらく冷や汗、恥とともにコラムをかいてみようと思います。
(瑛)

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